2002年のメッセージ

あらたなる望み

2002年12月29日

パウロは、今「苦難」について語り、同時に来るべき「希望」についても語っています。「今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現わされようとする栄光に比べると、言うに足りない」(18節)ことを力説しています。この「現わされようとする栄光」を思うとき、心は躍り、熱し、感激をもって歌うように、そしてうめくように書き綴っています。

苦しんでいるのは人間だけではない、否むしろ人間の罪のゆえに被造物全体が「虚無に服し」(19節)「滅びのなわめ」(20節)に捕われているのです。人間も被造物全体も「共にうめき共に産みの苦しみを続けている」(22節)のです。

パウロは人間と一般の被造物との関係を密接なものとして位置づけています。そして両者ともに「あがなわれる」(23節)必要があることを語っています。それ故に「子たる身分を授けられることを待ち望んでいる」(23節)ことによって「救われている」のです。 キリスト者はこの希望が失望に終わることがないことを信じて、やがて「現されようとする栄光」を忍耐をもって待ち望んでいるのです。

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全ての人を照らす光

2002年12月15日

ヨハネ1章1〜10節で語られていることは「言と光そして命」であり、それは神の子キリストのことを語っています。即ち、ヨハネは神の子キリストの存在は、人が信じる信じないに関わらず「初めから神と共にいまし給う」と宣言しているのです。 この世の全ての存在さえもキリストを基としているのです。しかも、キリストは神の言として命の源でもあるのです。そして、その言に命がある故に「人の光」として人に希望を与えるのです。この「人の光」がある以上この世のいかなる闇にも打ち勝つのです。

バプテスマのヨハネは神の子キリストの先ぶれとして「光についてあかしをするために来たのである」(8節)と言っています。 私たちもまたキリストの先ぶれであります。何故なら、まだキリスト即ち命の光を受けとめていない人にとっては、私たちの語るキリストについてのあかしはまさに先ぶれなのであります。

この「言と命そして光」であり給うキリストは、特定の人々ではなく、「すべての人を照らす」ために「世に来た」(9節)のです。 二千年前、ユダヤのベツレヘムの家畜小屋にお生まれになった神の子キリストは失望、断絶、紛争と憎しみの中で、どうにもならなくなっている、この世の「すべての人」に光即ち、希望と救いをもたらすために、お生まれになったのです。

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荒野で呼ばわる者の声

2002年12月1日

私たちはバプテスマのヨハネのように「荒野で呼ばわる者の声」です。彼は誰に対しても憚ることなく、神の真実を語るに何一つ曲げることなく、妥協することなく語ったのです。だからかえって人々を引き付けたのでしょう。

神の側に立つ者の言葉は、自らを無にして語るために、自らを誇らず、自らを語ろうとしません。ところが人間の側に立つ者は、自らが何者であるかを語り誇ろうとします。そのために、ますますバプテスマのヨハネの語る言葉は力を持ち、多くの人々がこれに聞き従って行ったのです。

神の真実を語るべき者たちが、自らの繁栄を第一に考えるという荒廃ぶりは、目に余るものがあったと申せましょう。この荒廃のなかで「主の道をまっすぐにせよ」と呼ばわることは、今日の私たちも、同じ状況におかれていると申せましょう。

ヨハネ同様に、私たちもクリスマスを迎えるにあたって「呼ばわる者の声」となりましょう。

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世界伝道のために

2002年11月24日

一般には、迫害するもの、傷つける者、奪い取る者こそが「強い者」であるという理解がありますが、イエスの生き方はそれとは全く逆になっています。即ち迫害する者、奪う者のために、荷を負い執り成しの祈りをするものこそ、本当の「強い者」であり、キリスト者なのです。 私たちキリスト者が、全世界に福音を宣べ伝えるということは、宣べ伝える相手のために、その重荷を荷うことを意味しているのです。 世界伝道のために祈り献げるということは、宣べ伝えるべき人々のために、執り成しの祈りをし、私たちと同じように、「強い者」になって頂くために祈り献げるのです。

「キリストでさえ」という言葉の中には、当然讃美と栄光を受ける筈のキリストが、私たち人間の迫害と略奪のなかで、執り成しとご自身を献げられて、その「強い者」の本来のあり方を示されたのです。 私たちも、キリストにならって、全世界のために執り成しの祈りと献げものをしその重荷を背負おうではありませんか。

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愛ゆえの忠告

2002年11月17日

パウロは、ペテロの行動によってアンテオケ教会の人々がまたもや不安に陥れられるということに対して、公衆の面前で明白にしなければならない必要性に迫られたのです。 このことは同時にペテロの福音理解に対する忠告でもあったのです。これほど重要な初代教会の指導者が、二元論的な福音理解の上に信仰生活をするならば、今後に大きな汚点を残すことになるからです。

心情的には、ペテロはパウロの理解者ですから、少し位のことならば、むしろ穏便にとり計らいたかったことでしょう。しかし、律法の中にある「罪人(異邦人と同義語)と交わってはならない」との言葉に拘っている人々を容認して、新しいキリストによる福音により頼む者たちを、疎遠にすることはペテロ自身が信仰的に欠落することになるのです。

このパウロの忠告が、ペテロにとっても初代教会にとっても重要な事であったことは言うまでもないことです。 そして、異邦人伝道の進展の大きな分岐点となったことは歴史が物語っています。しかもまたもや律法に逆戻りしようとするエルサレム教会に、善き歯止めとなって行くのです。

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幼児への祝福

2002年11月10日

神の子イエス・キリストは、思い煩いの多い世に生きている人々に「野の花はどうして育っているか考えて見るがよい、働きもせず、紡ぎもしない。今日生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなた方にそれ以上よくして下さらないはずがあろうか」(マタイ6: 25〜30)と、神の愛を信じるようにと招いておられます。

教会では、このイエスの招きに応えて、子供たちと共に今日まで導き育てて下さった神の恵みを心から感謝して、神のお造りになった豊かな命を与えて、装って下さる神からの祝福を、子供たちの上に注がれるように祈ります。

本日の聖句にあるイエスの幼児に対する愛と、私たちの日々の生活の中で、今一度幼児の中にある神からの恵みと豊かな祝福を確認しつつ、幼児を通して教えられる神の深い愛を心より感謝したいと思います。

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世界への扉

2002年11月3日

十二使徒の「重だった人たち」から「わたしとバルナバとに、手を差し伸べた」のでした。そのことは、異邦人伝道即ち、割礼なくしてイスラエル(神に選ばれたる民)民族と同等に救いにあずかることが、十二使徒によって認められたことを示す、一つのセレモニーであったのです。

この容認はまた、割礼に代表される選民問題に関わって来、初代教会、中でもエルサレム教会の中で大きな問題へと発展して行くのですが、その重荷を共に負い合うという、契約のセレモニーでもあったのです。

ただ一つだけ要望が加えられました。「貧しい人々をかえりみるように」とのことでした。それはもとよりパウロたちの救援活動を知らずに付け加えたのではなく、イスラエルの救援活動が行き詰っていたために、より多くの支援を願ってのことであったと思われます。

パウロは信仰の業をただみ言葉のみという信仰を持たず、「パン」もまた神の言葉の実践であり、分離することの出来ないものとして考えていたことを示して「わたしはもとより、この事のためにも大いに務めてきたのである」と語っています。

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神にある自由

2002年10月27日

パウロがテトスを同行させた理由が、ここで明確にされています。使徒たちは、パウロの主張をよく理解したので、同行したテトスはギリシャ人でしたが、割礼を受けることを強制されなかったのです。強制はされなかったが、テトスの方から自発的に受けたことを暗示している、と理解する人もありますが、それではパウロが大事にしてきた主張が曖昧になります。従ってそのような譲歩はしなかったと見る方が妥当と思われます。

殊に、パウロの行く先々の教会に入り込んで、パウロの伝えた福音を覆して律法の束縛の下に人々を縛ろうとする「偽キリスト者」がエルサレム教会にもいて、律法的なものをキリスト者の上に課そうと図っていたのです。

パウロは断固として妥協せずに、キリストへの信仰のほか何をも要しないことを主張し通したのです。従ってテトスがそのパウロの思い、信仰を知っていながら敢えて割礼を受けることは考えられないと言わなければなりません。

若い異邦人伝道者として、使徒たちの承認を得ることは、異邦人伝道のより大きな進展を決定づけるものとなるのです。即ちパウロの思いには、一人でも多くの救いという悲願があったのです。

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苦渋の彼方

2002年_月_日

パウロにとってのダマスコは、苦渋の地でありました。その一つは、迫害してきたキリスト教を宣べ伝えるという変化に、聞く人々が疑いの目で見るという、宣教者として最大の苦渋がありました。

第二には使徒たちの間で、パウロを使徒としては勿論、宣教者あるいは信徒としてすら認められない、ということ以上に、かつての迫害者である者との交わりをもつことも、その過去を容認することも出来なかったのです。

しかし、パウロにとっての神よりの召しは、そのことによって消え去ってしまうような、不確かなものではありませんでした。 このような「ノー」としか応えられない神に対して、彼はひたすらに、あるべき姿、歩むべき道は神のみがご存知であって、神の前に不平不満を述べる資格など自分にはないことを、彼は知っていたのです。否、この「ノー」の中にこそ神の導きがあると信じていたのです。

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神の示される道

2002年_月_日

パウロは、信仰を自分の力によって得たとは思っていません。彼の信仰は神によって与えられたと信じているのです。しかも、彼が母の胎内に宿ったときから、既に選ばれていたのです。彼が初代キリスト教徒を迫害していたときでさえも、真実の神を知らずイエスが彼の故に苦しみに合われたときにも変わることなく、宣教の業を担うべく選ばれていたのです。

この故に彼の信仰は底抜けに明るく、喜びで満たされ恵みに満ち溢れていたのです。その信仰と宣教の根源は、人にも自分以前の使徒にもなく、只彼を選び立ててくださった神とイエスとによってのみ見出すことが出来たのです。

神は安易な形の中にその道を示されず、パウロはもがき求める中に神の示される道を見出して行ったのです。神はあなたの求めなくしてその道を示し与えられることはないのです。しかし、神はあなたを必要としておられることだけは確実です。何の為に必要とされておられるかを祈り求めて参りましょう。

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キリストの啓示

2002年_月_日

パウロにとって、自らの使徒職を実証するには、過去の自分の過ちを語らなければなりませんでした。 ガラテヤ人への手紙1章11〜24節までをもって、人間的関係の中でその転換がおこなわれたのではなく、キリストの啓示の中で行われたことを語るのです。

ガラテヤの諸教会に、聖者崇拝と律法的な奉仕とが、同一の人々の手で持ち込まれていることを知っているパウロにとって、自らをさらすことによってのみ、彼らに語りえるのです。

ここで問題とすべきことは、人間の経過ではなく、神との関係にのみあると申せましょう。 パウロはあのダマスコ途上においての、キリストの啓示によって、初めて見えるようになったのです。 何故人間的関係の中から神が、真理が見えないのかわからなかったパウロに、あの啓示は神との関係においてこそ、見るべきものが見えるようになることを知ったのです。 だからパウロは「キリストの啓示によったのである」と言うのです。

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主にのみ仕える

2002年_月_日

パウロの信仰は、人によって与えられたり、自分の力によって得たものでもありませんでした。この信仰は、律法との明確な彼自身の決別でもありました。そして又、律法主義との根本的な相違でもあったのです。

彼の信仰は、イエス・キリストと彼を甦らせた父なる神によって与えられ、ただ恩恵のみによってたてられ、使徒となったのです。 かつて彼は、人の賞讃と人の喜ぶことや言葉を語っていたのですが、今や讃美の対象を神にのみとしたのです。 だからこそ、人の賞讃は全く無益な存在、否むしろ、神から離反するものでしかなくなってしまったのです。

神の関心をひくこと以上のことを、自らに持つとするならば、神の子たる身分もキリストの僕たる光栄も、その人とは関わりのないものとせられるのです。 私たちの中に妥協を許さぬ信仰の厳しさが呼び起こされるようにとパウロは自らをふくめて、否先ず自らを引きずり出して、その襟を正してみせるのです。

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恵みと平和を

2002年_月_日

ガラテヤの教会が今大きな危機に直面していることに対する、愛の故の警告を、挨拶に続いて書いております。彼らが新しい考え方として、キリストに服しつつ律法主義に向かっていくことが、例えユダヤ人たちの誘いであったとしても、それに追従していったガラテヤの諸教会の責任を、逃れることは出来ないのです。

即ち、律法主義と決別しないで、キリストの福音に従うことも、キリストの福音を棄てないで律法を追い求めることも出来ないのです。信仰の厳粛さがここにあります。この律法の問題の要になっているのが割礼でありましたし、割礼のままで信仰に入ることの矛盾と、その矛盾の中で打ち拉がれて行く信徒の間で起こっている、便宜主義的解決策に対して、一刀両断の厳粛さをパウロは求めるのです。

4、5節のパウロの信仰告白は、同時にガラテヤの諸教会に対する一刀両断的厳粛さをもって語られているのです。こうして、軽はずみな無頓着さから、目覚めさせ彼らをキリストへの決断へと促しているのです。

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