当時のユダヤでは、かつてのダビデの様な力と知恵を持った王が出現することを望んでいる人と、救い主は力ではなく、本当の救いを齎す神からの「啓示の光」を与えて下さる方と信じる人たちとがおりました。
シメオンは「イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた」人でした。彼の前にマリアとヨセフが幼子イエスを「献げようとして」連れて来ました。するとシメオンは聖霊の導きを感じて、感動して喜び祈ります。そしてイエスのことを「異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」と預言しています。
そしてマリアについても「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と十字架のイエスを見上げるマリアの光景を指し示すことをも預言しております。
イエスの誕生はイエス自身にとっては苦難の始まりですが、私たちにとっては救いを齎す「啓示の光」なのです。
当時のユダヤ社会では、律法を守らない人は罪人とされ異邦人同様、ユダヤ社会から除外されてしまうのです。羊飼いたちは神殿での礼拝に羊を置いて出るわけにもいかず、罪人呼ばわりされることに甘んじなければならなかったのです。
即ち、人間社会から締め出された人々に、神は先ず喜びの福音(おとずれ)をお伝えになったのです。しかもその伝えられ方が実に素晴らしいのです。当時のユダヤ社会では子供が生まれると、吟遊詩人が来て楽器を奏でて祝うものでした。ところがイエスの誕生は貧しかったためにそのような祝福もない有様でした。
しかしその代わりに、イエスの誕生を祝って歌ったのは天使たちでありました。貧しいがゆえに見向きもしないところに、神は先ず目を向けられ祝福されるのです。外面的豊かさに人々が目を奪われているのに対して、神の目は内面的豊かさに向けられているのです。
イエスに先立って誕生した、先遣人としてのヨハネの誕生の次第を聖書を通してご一緒に読みたいと思います。
ヨハネの父ザカリアは名門アロン家の直系で祭司でした。彼が神殿で香を炊いている時に、天使が立ち「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。・・・彼は・・・主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」と告げるのです。
こうしてヨハネはイエスの先遣人として遣わされたのです。彼の務めは人々の心を整えさせ、神のひとり子イエスの来臨に備えさせることでありました。この務めは、人々が主の声を聞くことが出来るように、主のご降誕が人々の心の中の出来事となるようにすることでありました。 このことは私たちに与えられた務めでもあるのではないでしょうか。
今日からアドヴェント(待降節)に入ります。この時期に毎年イスラエル民族が、救い主の出現を待望し続けた事を、聖書を通して学んでおりますが、本日の聖句は「救い主降誕の預言」とも言えるところです。「エッサイの株」とは、ダビデの父「エッサイ」の子孫を示す「芽」「若枝」を表しており、ダビデとも、ダビデに続く子孫とも取れます。
いずれにしてもイスラエル民族が、長い苦渋の歴史から「救い主」または「英雄」が現われて、救い出してくれる事を願い続けている状況にあったことを、物語っております。
その「救い主」は「主を畏れる」信仰に満たされた人であって、目前の事柄に惑わされず、「正義」「公平」が裁きの主柱となるのです。 この預言をしたイザヤは紀元前700年には預言活動を停止していますので、イスラエル民族は700年も神の子イエスの降誕を待ち続けていたのです。私たちも心の中に主の降誕を祈りましょう。
フィリポは天使の声を聞きます。「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」そして「エチオピアの女王カンダケの高官」の「馬車と一緒に行け」と。彼は命じられる通りにしていると「イザヤ書(53章7、8節)を朗読しているのが聞こえた」そこで、フィリポは「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねました。すると「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言って馬車に同乗するように招きます。馬車に乗り込んだフィリポは朗読していた聖書が、いえす・キリストのことを語っていることを説き明かし、宦官にバプテスマを授けました。
この一連の出来事の中で、フィリポは天使・霊の働きかけに対して非常に素直に従っています。そこに彼の信仰があらわされています。即ち信仰は神を尋ね求める生活であり、そこに自分の存在を懸けていくことなのですから。
キリスト教徒に対する迫害が次々に展開されている中で、エルサレムに残っていた使徒たちは「サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた」(14節)のです。それは彼らが聖霊を受けるようになるためでした。即ち、知的に「神の言葉をうけいれた」ことと「聖霊を受ける」こととは基本的に違うことだからです。
その基本的な違いを示すこととして「この悪事を悔い改め、主に祈れ」(22節)とペトロは言っています。「悪事を悔い」と言うことは、罪を悔い改めることです。ペトロはこの罪を具体的に次のように表現しています。「お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られている」と。 この「腹黒い」や「悪の縄目」は一人ひとり異なっています。ある人は、神への服従よりも、自らの病が癒されることであったり、人々からの賞賛を得ることであったり、また時には信仰が利得を目的としたものであったりするのです。
フィリポがサマリヤでみ言葉を宣べ伝えることは、ユダヤとサマリヤの関係から驚くべきことだったのです。そのような両者の関係をキリストの福音は見事に結び合わせたのです。私たちの周辺にはこのような人間関係はないでしょうか。否そのように思い込んでいる人はいないでしょうか。それらの関係をキリストの福音は結びあわせてくれることでしょう。
フィリポの語った宣教の内容は、イエス様をありのままに語っていて、特別な飾りなど必要なかったのです。そこでは宣教の結果として信仰の成就としての癒しが伝えられ、なされていきました。それは信仰の土台の上に立った癒しであって、癒しが先立った信仰はありえないのです。
そこにある「喜び」は外見的「喜び」でななく、み言葉を宣べ伝え、信仰が与えられて湧き上がってくる信仰による「喜び」こそ「宣教の勝利」を意味するものなのです。
ステファノの次に登場したのはフィリポでした。このフィリポを初めとして、各地に散らされていった信仰者たちは、自分たちが迫害される原因となっている、キリストを宣べ伝えることをやめるどころか、むしろ、より熱心に宣べ伝えていったのです。
また、キリストを信じた者たちが迫害に合ったことは、フィリポの話を聞いた人々にも伝わっていたことは間違いないと思われますが、彼らはフィリポを通して語られるキリストを信じることを「大変喜んだ」と記されております。
これは外面からの力や迫害は内面から湧き起こって来る「喜び」には打ち勝つことが出来ないことを物語っています。「不幸」や「喜び」を外面的に捉える一般的見方では、「不幸」は「喜び」に成りえませんが、信仰の視点から見るときに「不幸」が「喜び」へと変えられていくのです。それがキリストの福音なのです。
人の前ではステファノが告発されていることであっても、神の前では逆に人々(最高法院の議員達)が告発されていたのです。 ステファノは私刑(リンチ)を受けながら、イエスの十字架の光景を一つ一つ丹念に思い起こしながら従っています。
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(59節)は、ルカ福音書の23章46節の「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」を引用していますし、「主よこの罪を彼らに負わせないでください」(60節)は「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ福音書23章34節)から引用していると思われます。
この立場の逆転は一体どこからきているのでしょうか。これを解く鍵は、ステファノが自分に加えられている全ての仕打ちの彼方に、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」(56節)と言った言葉の中にあります。
ステファノは、今や弁明ではなく説教をしているのです。何故なら先祖たちの罪に対する怒りよりも、今のイスラエルの民に対する深い愛に根ざした悲しみがこみ上げてきたからです。
神の子キリストが愛されたイスラエルの民、ステファノも愛する同胞。その同胞が最悪の罪を犯すのを見て、黙っていることができなかったのです。
しかもイスラエルの民は、神の下さったイスラエル(神に選ばれ祝福された民の意)という約束を拒むのを見るとき、彼は悲しみを禁じえなかったのです。
現代の世界、日本、この地に、イスラエルの犯した罪と同じような罪はないでしょうか、数え切れない程の罪が私たちの周囲に満ちています。この「天」と「地」は「王座」「足台」だと神はいわれます。この「神の住い」を罪で満たして良いものでしょうか。
「シナイ山」で見た「燃える柴」に対する好奇心が単なる好奇心であった時には、モーセは勇気ある人に過ぎなかったです。しかし、「主の声」を聞いた時、その勇気ある好奇心は吹き飛んでしまって「もうそれを見る勇気もなくなった」のです。
主の業を担う者とせられていくためには、先ず第一に「あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である」と言う、神が主であり、主の業を担うものは従であると言う関係が決して混同されたり、いい加減になってはならないのです。
その神がモーセに対して「さあ、いまあなたをエジプトに遣わそう」と具体的な神の業を示されるのです。そこは逃げ出して来た所です。私たちの場は、決して安易な場ではないでしょうが、神は私たちをその場から呼び出しその場へと遣わされるのです。しかし、神はいつも私たちと共にいてくださいますから、安心して神に従いましょう。
ステファノが揚げた三人目の人物はモーセでした。彼はエジプト王パロの「ユダヤ人に男の子が生まれたらみなナイルに投げ込め」(出エジプト記1章21節)との命令にも関わらず、パロの娘に育てられるという、不思議な生い立ちをするのです。
モーセはやがて、自分がユダヤ人であることに気付き、人間の思いからエジプト人を撃ち殺し、ユダヤ人を守ったにも関わらず、ユダヤ人にさえ受け入れられず、身の危険を感じてミデヤンの地に逃れて行きました。
ここでステファノはユダヤという国の進路に対して、神が救いをもたらそうとしておられたにも関わらず、ユダヤ人は全く気付かなかったことを指摘しています。このよな状況の中で、モーセは自らに置かれた場、与えられた課題に忠実に取り組み、神に与えられた「備えのとき」としていくのです。 このことは私たちに大きな指針となるのではないでしょうか。
ステファノがユダヤの歴史の中で次に揚げた人物はヨセフでした。このヨセフを語ることによって、人(ユダヤ)のなしたことと、神のなされたことの中に対照的な事実が示されるのです。そのことを端的に示しているのが創世記50章20節の「あなたがたはわたしに対して悪を企んだが、神はそれを良きに変えらせ、今日のように多くの民の命を救おうと計られました」というヨセフの言葉です。
そしてステファノはヨセフに対して神のなさったことを「恵みと知恵をお授けになりました」(使徒言行録7章10節)と要約して語っています。しかし、その「恵み」と「知恵」もヨセフに対して兄たちのなしたことを即ち彼が奴隷であったときも、牢獄の中にあったときも、大臣であった時も、一つ一つの務めを誠実に果たしたことを通して、神が語りヨセフを初めとして人々を動かし、導かれたのでした。神の100%と人の100%をもって苦難からの脱出、恵みと知恵として喜びに変えられていくのです。
本日の聖句は、ステファノが捕えられ議会に引き出され、大祭司が彼に弁明のときを与えたところです。しかし、彼の弁明は自分の身の安全のためのものではなく、攻撃的で、イエスを十字架につけた責任はユダヤ人全体にあることを、歴史の中から語るのです。
ステファノはイスラエルの歴史を語るときに、先ずアブラハムから始めました。それはユダヤ人とってアブラハムは信仰の父であると同時に建国の、そして歴史の礎であったからです。
アブラハムは神の呼びかけ「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」に対して「行き先も知らずに出発した」のです。
信仰とは、今直面している事柄がどのような結果になるか解らないときでさえも、神のご命令に聞き従うことを言うのです。
神が与えておられる私たちへの約束を信じて、結果を恐れず出て行き、希望を失わずに雄々しく信仰の歩みを進めてまいりましょう。
当時のユダヤ教では大切なものが二つありました。一つは神殿であり、第二には律法でした。この二つの大切なものをステファノは、神殿は崩れ去るものであり、律法もキリストの福音に向う一段階に過ぎないことを人々に語ったのです。
この事を聞いたユダヤ教指導者たちは、ステファノ一人を相手に多くの「最高法院」の会堂に属する人々が議論を始めました。しかしステファノが「知恵と霊とで語るので、歯がたたなかった」のです。 そこで彼らは、キリストを十字架にかけたときに用いた方法、扇動と偽証、そして権力と暴力をもって真理を語るステファノを葬ったのです。しかし、ステファノの信仰を葬り去ることは出来ませんでした。
彼の信仰は外面に溢れて「その顔は、さながら天使の顔のように見えた」のです。それはステファノが「恵みと力に満ちて」いたからであり「知恵と霊とで語っていた」からであります。
初代キリスト教会では様々な問題がありました。その中でもそれまで虐げられてきた人々をキリストの福音のもとに、平等に受け入れるために起こってくる問題でした。
即ち、キリストの福音が貧しい者、虐げられた人々が多く教会にやってきたのです。そのため福音がまだ充分に生活化していない人々との間に問題が生じたのです。しかし、この様な状況の中でこそ「神の言葉」は語られ実践されなければならないのです。
そこで充分に「神の言葉」が生活化されている人々「霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人」にこれらの問題を整理して頂こうという訳です。
当時のユダヤ社会も、今日の日本社会も、根本的な点で共通する問題を持っています。そのような中で教会の執事を選出することは「神の言葉」が「ますます広ま」っていくのに重要な事柄なのです。
使徒たちに対して「鞭で打ち、イエスの名によって話してはならない」と最高法院は命じたのですが、「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせた。」と記されています。
国の権力を以ってしても、更には恥を加えられる「鞭打ち」もイエスから引き離すことはできなかったのです。それどころか「辱めを受けるに足るもの」とされたことを「喜び」としたのでした。
即ち、イエスの仲間であることを公に認められたのです。このことはこの後多くの迫害を受けることになっていくのですが、彼らにとってイエスの仲間になる喜びに較べればとるに足りない小さなことでしかなかったのです。これほどの喜びがイエスの仲間に加えられることにはあるのです。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」(9節)とあります。
AEブルックは「人の愛は神ご自身の反映」といっています。即ち神がイエスを通して示された愛が実践されるときに、神との事柄が人の存在全体に関わって来ますから、表も裏もなく生き実践し証しされて行くのです。
自分を苦しめ傷つける者のためにイエスが「祈れ」と言われた事を実践することこそが、神の示される「愛による平和」への第一歩の歩み出しなのです。
イエスがわたしたちのために十字架に架かり、しかも執り成しの祈りを、あの十字架の上でなさったことを思い起こして小さな第一歩を歩みだしてまいりましょう。
使徒たちは、再び捕らえられ「公の牢にいれ」られました。それは人間的には当然なことでした。彼らは国家の最高権威者たちによって「決してイエスの名によって、話したり教えたりしないように」と命ぜられたにもかかわらず、その命令を無視したのですから。
彼らはただ「自分の見たことや聞いたことを、話さないではいられない」という理由で国の最高権威さえも無視したのです。何故なら彼らにとって、神の存在は国以上に大きく重要であり、何ものにも替えがたい存在だからです。
使徒たちは、一見無謀と思える事柄を、神の命令であるという理由で実践したのです。そこには「大丈夫だろうか」とか「これからどうなるのだろう」という不安を一切捨て去った姿があります。
「神の望まれるがままに従って行く」という信仰に立って歩むことこそが「神の証人」としての歩みなのです。
本日の聖句の物語は、初代教会でさえ善も悪も混じり合っていたことを示しています。聖書は頑固なまでに真実を書き残しています。 アナニアが自分の資産を売った代金をごまかして「一部を持ってきて、使徒たちの足元に置いた」ことに対してペトロは「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と言ったことは意味深いことです。私たちは神の目よりも人の目を気にし、人の目が善とすることをあたかも、神の善ででもあるかのように思うことがありますが、「これは神を欺いた」ことになるのです。このことは、私たちに与えられている、時間、能力、資産についても共通していえることなのです。
誰でも能力の多少に関係なく、時間の多少にも関係なく、資産の多少にも関係なく、神に与えられたものを充分に活用しないのは、神のものを盗んだことになり、神に対する罪となるのです。あなたの最善とありのままを神の前に捧げ様ではありませんか。
初代キリスト教会で、キリストの福音の素晴らしさを証しているのは、貧しい人々に対して自らの所有物を売り払って「誰にでも分け与えた」ということです。これは社会と言うより、家族の形態をなしていると申せましょう。そして社会の理想の形態こそ家族であることを示しているのです。初代キリスト教会は、主にあって兄弟姉妹であり、家族のために自らの所有物を提供することは、至極当然なことだったのです。 「土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り」それを「必要に応じて、おのおのに分配された」とあります。これは必要以上に「持っている」と言うことであって、人々の必要と自分の必要を等しく見ることの出来る見識もまた、兄弟姉妹を愛する愛の中から育ってくるものです。
人々の目を恐れていた使徒たちがどうしてここまで強くなれたのでしょう。聖書には彼らの確信の第一の理由は、彼らと一緒におられる方はあらゆるものの創造者であり支配者であることを確信したのでした。
次にイエス・キリストがあの苦難の中から勝利されたことを思い起こしたのでした。
第三に彼らの取った行動は、勇気が与えられるように祈ったことでした。即ち自分たちの力にのみより頼むのではなく、「大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と神に委ねたのでした。
それはペトロが議会で「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。」と言ったことと同じ信仰に立つものでした。 その結果「聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」のです。わたしたちも祈りましょう「大胆に語らせて下さい」と。
本日の聖句においてペトロとヨハネに対する圧力・迫害は、真実の神を神として語る者に対して、その自由を阻害し迫害する動きです。
この阻害と迫害を受けながらも彼らが語ったことは否定しようもない事実、即ち、美しの門において起こった癒しの出来事を示して、真実の神を証することだったのです。
そして、暴力や迫害に屈服して真実の神に従わない愚かしさを語るのです。
今日「信教の自由」「言論の自由」「思想の自由」がまだ少し許されているとき、しっかりと堤防を補修しておかなければ、やがて大洪水となり、かつてあった「言論統制」「思想統制」、そして神ならざる神に「統合」されてしまうと言う、歴史を繰り返すことにならないように「神にのみ聞き従う」という信仰を確立してまいりましょう。
イエスさまは二つの質問を弟子たちにしておられます。第一には「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」という問いでした。第二は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たち自身に尋ねておられます。
イエスさまにとって関心の高い問いは後者の問いでした。それに対してシモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えています。これはまさに彼の力、知識によるものではありません。
彼を信仰による自立へと導いてくださったのは、神さまの恩恵によるものでした。この信仰告白こそが、彼のたつべきところであると同時に、教会の立つべきところなのです。
わたしたちもまた、主を信じる告白の上にわたしたちの人生を、そしてキリストの教会を世の光として打ち建てたいものです。
民数記はイスラエル民族のシナイにおける最後の滞在と、出発準備の20日間、荒野流浪の38年間、ヨルダン東岸占領の数ヶ月間の歴史を書き、民族の過去の経験における宗教的意義を明らかにして、国民の生きていく道を示す鏡としたのです。
多くの歴史書は最も多数をなす国民の状況を書かず、指導者がどんな立派なことをしたかを書いていますが、この民数記はイスラエル民族の弱さと失敗の記録です。これは千変万化の歴史の中に彼らは幾度となく背けども、なお捨て給わぬ神のくすしき恵みを見出していたからでしょう。
本日の引用箇所は、祭司の祝福として知られていますが、今や神の民として体制が整った彼らに、この美しい祝祷がなされたのです。
子育ての歴史とイスラエルの歴史を重ね合わせて見ますとき、よく似た歴史に思えて来ます。
神の子キリストを十字架に架けて殺してしまったことは、明らかに大きな過ちです。しかし、この過ちを通して神は人々に啓示の光をお与えになったのです。 啓示の光に与かるためには「悔い改めて、本心に立ち帰る」ことが求められるのです。「悔い改める」だけではなく「本心に立ち帰る」ことによって、新しい歩みへと導かれるのです。 神はその結果「過去」の罪を拭い去ってくださり、「未来」への道が開かれ、弱きものに再生への力を、疲れた者には休息となる力を送り込んでくださるのです。 私たちが21世紀の日本で、この地で、キリストの十字架の出来事が私たちと深く関わりある事柄として知り、罪を拭い去ってくださるためになされたことであると信じた今「悔い改めて、本心に立ち帰」ろうではありませんか。
初代教会でなされていた説教は、いつも三つの重要な点を持っていました。
第一に、イエスを十字架につけたことは歴史上最も大きな罪過であったと強調しています。イエスは正しい方でありローマの役人でさえ、十字架につけることは正しいことではないことは分かっていたにも関わらず、バラバと引き換えにしてしまったことを、単刀直入に語り人々の心を打ったのです。
次に、いつも復活を熱心に語るのです。イエスが死から甦られたからこそ、滅びることのない力であられ生と死の主であり、永遠者であられることが証明されるのです。
第三に、復活されたイエスの力を強調しています。復活の主が彼らを通して共に働かれるときには、その限界の壁が取り除かれることを知っていました。
「癒し」の出来事は、主の力を信じ一切を委ねていくところに行われるのです。
当時のユダヤにおいては、身体障害者に対する何の保障もなかっただけではなく、働けないことはもちろん、対等な人間として扱われることもなかったのです。精々「施しを乞うため」に「神殿の門のそばに置いてもら」い人々の温情にすがることしか出来なかったのです。
そこにペトロとヨハネとが通りかかり、この「生まれながら足の不自由な男」は、誰にでもしたように「施しを乞うた」のです。それに対してペトロとヨハネとは「わたしたちを見なさい」と言っています。信仰心を呼び覚ますために必要なことは、まず「イエス・キリストを見る」ことなのです。
更に金銀を求める物乞いにまず「金や銀はないが」と言っています。しかし、この男に最も必要なものは何かを誰もが知っておりながら諦めてしまっていたもの、即ち「わたしにあるまのをあげよう」と言うのです。それは「イエス・キリストの名によって立ち上がり歩きなさい」ということでした。それこそ彼にとって最高の喜びだったのです。
今日はペンテコステ(聖霊降臨日)。この日はキリスト教会が誕生した日です。即ち、キリストの福音を弟子たちが自ら語り始めた日なのです。
それまでの弟子たちは、人の尺度であの十字架を見、主の甦りを受けとめていたのですがこの聖霊降臨によって、彼らは何ものにも優る喜びに満たされたのです。
従ってもう黙って、隠れていられなくなったのです。例えそのことが危険なことであったとしても、神が彼らになさったことや人々になさったことを思うと、恐れも危害も問題ではなくなったのです。
彼らの説教を聞いて信仰を受け入れた人々がその日だけで三千人ほどだったと記されています。信仰を受け入れた人々はイエスが十字架に架けられたこと、三日目に甦られた事実を知っている人々です。即ち、その人たちも現代の私たちに対する証人なのです。
2000年前の誕生したばかりのキリスト教会に、「救われる人々を日々仲間に加え」られるという出来事が起こりました。その要因となったことを、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(42節)からだと言っています。
更に43節には「恐れが生じた」とあります。ここで言う「恐れ」は、「畏れ」とすべきでしょう。即ち「畏敬の念」が「生じた」のです。だからこそ「不思議な業としるしが行われ」たのです。 教会はキリストの教えに聞き従い、兄弟の群れとなるときにのみ真の教会であり、「祈ることに熱心」でありました。彼らは自分たちを取り巻く様々な問題に、自分の力でのみ立ち向かう事が出来ない事を知っていたので、いつも神に「祈りをしていた」のです。
「不思議な業としるしが行われ」る時は、神と共に業をなして行こうとするときに神は大いなる業をさせてくださるのです。
本日の聖句はペンテコステ(キリスト教会の誕生日)の出来事を記したところです。今年は5月15日(日)がその日にあたります。ペンテコステはギリシャ語で「50番目」という意味で、過越しの祭りから50日目を意味しています。
さて、この日に聖書に記されているような出来事が起ったのです。しかし驚くべきことは、そのときまで弟子たちはイエスと関わりある者として隠れていたにも関わらず、外に出てイエスのことを語り始めたのです。
処刑されたイエスを語るということは、自らの身に死を招く事が充分に考えられることです。それにも関わらず語り始めたということは、死の恐怖を超えた喜びが彼らの中に芽生えたからと言えるのではないでしょうか。まさに喜びが溢れ出る程になったのです。その喜びをあなたもお受けになりませんか。
イスカリオテのユダが欠けて十一弟子になったので、一人を選び出すこととしましたが、その条件として、初めから共にいて「主の復活の証人」となれる人ということでした。
この条件を今日のわたしたちに当てはめるならば、イエスは今もなお私たちの間で生きて働き、導いておられる方として信じている人だけが「主の復活の証人」なのです。
現代の私たちが「主の復活の証人」として立てられるのは、信仰において復活の主を知り、出会い、交わった経験を持ち、日々イエスと共に生活していることが条件なのです。
しかし、この条件はイエスを救い主として信じて告白し、バプテスマを受けた人は満たされていると言っていいでしょう。即ち信じたあなたは「主の復活の証人」として、復活の主を語り伝えて行くべき役割を与えられているのです。
弟子たちは宿泊所としていた家に帰り、屋上に上がって行きますと、そこには「婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(14節)とあります。ここで特に興味を注がさせられるのは「イエスの兄弟たち」がそこに居たという事です。何故なら、マルコ福音書3章21節にはイエスの宣教活動に反対する人々と共に「取り押さえに来た」とあります。
聖書にはどの様な経緯で変えられて弟子たちの仲間、即ち初代教会の基礎をなしたと言うべき人々に加わるようになったかは記されていませんが、他の人々同様イエスの十字架と甦りによって、目を開かれ導き入れられたのでありましょう。
現代の私たちが過去にどのような歩みをしてきたかということよりも、今「心を合わせて祈る」ことが、反対者さえも導き入れる力となって行ったキリスト教会の出発点を覚えて勇気を持って参りましょう。
イエスの宣教活動は初めから終わりまで「神の国」の問題で苦しめられていました。しかし、それは「主の祈り」に見られるように「神の御心が天に行われるように、地にも行われる」社会を意味しており、権力によってではなく愛によって築かれるものであることが知らされるのです。
この「神の国」を建設するには聖霊が必要であって、聖霊の力を受けた人々はその時からキリストの証人とされたのです。証人は言葉にのみよるのではなく、行為においても証する人のことであり、日常生活においてこそ最も力強く証がなされるのです。
即ち、「神の国」を知るもので「地上」に住むものこそが人々に最も語るべき言葉を持っているのです。弱く愚かに思える私たちこそ「神の国」の証人であり、「神を語る証人」として神に召しだされ、用いてくださるのです。
本日より使徒言行録を通して「神の声」を聞いて参りたいと思います。この使徒言行録は古くからルカがギリシャ語で書いたと言われており、「使徒たる人々の行為」と直訳出来る表題です。
この使徒言行録を受け取った人は1節によると「テオフィロ」となっていますが、これは「神に愛された人」と言う意味があり、本名を使うことの危険な時だけに、この様な宛名にしたのではないでしょうか。
28章31節の最後の言葉が「教え続けた」となっていて、この使徒言行録が終わりのない物語であって、現代の私達もまた「使徒たる人々」としてその「行為」を残し続けて行く役目を負っているのです。 イエスはその生涯を通して、初代教会の時代から今日の私達の時代に至るまで生きて働いておられ、私達を用いていて下さるのです。それが聖霊の働きであり、初代教会の人々が魂を全て主に明け渡して祈りつつ待ち続けていたのが、聖霊降臨の出来事だったのです。
甦りのイエスが命じられた言葉に「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコによる福音書16章15節)とあります。この中の「全世界」とは他国という意味だけではありません。「全世界」はあなたの隣から始まっているのです。否むしろあなたの隣こそ「福音」、即ち、イエスが甦られたという喜びのおとずれを第一に伝えるべき人なのではないでしょうか。イエスが甦られたということは、神と人との間垣を取り払い、更には人と人との間垣も取り払われたのです。これこそまさに「福音」なのです。この喜びの「福音」をあなたの近隣の方々、職場の同僚、愛するご家族の一人一人に伝えて行こうではありませんか。
イエスが十字架に架けられたとき、幾通りもの反応がありました。本日の聖句マルコによる福音書でも、「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」(30節)。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架からおりるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。(32節)と記されています。しかし、百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られるのを見て、「本当にこの人は神の子だった」と言った。(39節)とあります。また、婦人たちも遠くから見守っていた(40節)と記されています。 あなたは、どの様な思いをもってイエスの十字架を見上げられますか?そしてなんと応えられますか?今もイエスはあなたのために十字架の上で執り成しの祈りをささげておられるのです。
イエスは祈られるとき、よく「ゲッセマネの園」に行かれたようです。そこはオリーブの木が植えてあるところで、オリーブ油を絞るところだったようです。この場所を十字架に架けられる直前の祈りの場に選ばれたのは、それだけ深い意味があったのです。 「アッバ父よ」(アラム語で「わたしの父よ」の意)と呼ばれる神との対話の場でありました。「この杯をわたしからとりのけてください」(36節前半)とは、「十字架の事柄をとりのけてください」と言っておられるのです。イエスにとって十字架は十字架の痛み苦しみだけではなかったのです。人々の罪のどん底にまで降り、罪にまみれることであり、そのことが何よりも耐え難いことだったのです。 「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことがおこなわれますように」(36節後半)の祈りはまさに至上の祈りです。この祈りを人々の罪のどん底から祈っておられるのです。
本日の聖句に「プリスカとアキラ」という夫婦が登場しますが、この二人はパウロの伝道旅行の先先で、自分たちの家を開放して「家の教会」といわれる集まりをしていたようです。 危害を加えられたことも多々あったことでしょう。しかし、彼らはその働きをやめようとはしませんでした。それは同時にパウロにとってはおおきな励ましであり、喜びであったことでしょう。
この夫婦を初めとして、本日の聖句に挙げられている人々にとって「恵み」はこの世における「恵み」とは異なったものであり、「主があなたと共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように」(22節)とあるように「主が共にいてくださる」ことが何にもまして優れた「恵み」だと言えるのではないでしょうか。 だからこそプリスカとアキラの夫婦は家を開放して、危害を加えられても「家の教会」を続けたのではないでしょうか。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても、励みなさい」とパウロはあらためてテモテに命ずるのです。それは「神の御前で」、終末のとき「生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で」命ずるのです。そうするのは、終末のときが勝利の瞬間となることに望みを抱いているからです。
つづいて、「だれも健全な教えを聞こうとしない時」と言っていますが、21世紀の今日と同様の「時」と言えるのではないでしょうか。それ故、今日の私たちに対しても命じているように受け取れます。
「主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれども授けてくださいます」と言うのです。それはパウロやテモテという限られただれかだけではなく、キリスト・イエスを信ずる者すべてに「授けてくださいます」と言っているのです。なんと喜ばしいことではありませんか、だから、この喜びの「御言葉」を宣べ伝えてまいりましょう。
パウロは今テモテに勧めるのです。真理に逆らう人々が増している時代に、共に苦難の道を歩いて来たことを喜び、更に「神に仕える人」として「十分に整え」るようにされていくようにと。
真理に逆らう人々とは、「詐欺師」とパウロは言っていますが、宗教的詐欺師のことで、真理のみ言葉を誤った方向へ導いて人々を「惑わ」すのみならず。自らも「惑わされ」て真理から離れ、「ますます悪くなっていく」道は際限なくそれてしまう。と言っています。
その「惑わ」しに決然と立ち向かうためには、テモテが幼い時から親しんで来た「聖書」のみが「救いに導く知恵」を「与えることができ」「キリスト・イエスへの信仰」へと導き、「惑わ」しに雄雄しく対抗することが出来ると言っています。
この聖句は今日の時代にも通じる警告であり、また勧めの言葉として読むことが出来ます。この時代を超えた聖書の言葉をかみしめてまいりましょう。
「終わりの時」は「困難な時期」である、と言っています。それはいわゆる『終末』ではなくて、信仰の崩れ落ちる時、振るわれる試練の時であると言っているのです。
それをパウロは19の悪行として挙げています。即ち、信仰の堕落は道徳生活の崩壊から始まり、「自分自身を愛する」自愛と「金銭を愛する」貪欲とであるというのです。それに続くのが「神を畏れぬ」謙遜の喪失です。更に人間相互間の秩序の破壊であり、自己喪失です。
自己中心の生活は神と人との関係を崩してしまいます。それは自己を自らの神にしてしまうからです。また「金銭を愛する」ことは自らの魂を失いかけている時であることを忘れてはならないのです。ましてや「ほらを吹く」ことは人に対して高慢なだけではなく、神に対しても侮辱的行動であることを忘れてはなりません。こんな時が最も危険な「終わりの時」なのです。
若き牧者テモテに「真理の言葉を正しく伝える者」となるために、「神の前に立つ者」「働き手」となることが大事だとパウロは言うのです。 どんなに詭弁を弄しても、「神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません」と言うのです。
「堅固な基礎」の上に建てられた教会は神に「刻まれている」聖書が託されているのです。 教会の中には様々な人々がいます。その一人ひとりが「正しい教えを保つ信仰者」また「キリストの働き人」として用いられることが出来るように導き教えなさい。とも言っています。
パウロはテント造りの職人だったようですが、彼が布地にはさみを入れる時、集中した神経、鍛えられた目、強靭な心をもってなしたように、み言葉を語り教える時も注意深く語り教えるべきだ。と言っているのです。
パウロがテモテに命じた務めには「教えること」「活動すること」と共に「苦しむこと」も含まれていたのです。
パウロが軍務を例えとしてあげている理由は、生活のためにその務めを果たすのではなく、司令官の意とすることのために、一切のものを棄てて従事するからです。即ち、司令官たるキリストのみ心のために、すべてを投げ打ってその働きに参与するのです。
それは誰かがそうすればよいというのではないのです。テモテが参与しなければテモテの喜びにはならないのです。農夫が第一の収穫にあずかるように、キリストに従った者が第一に祝福にあずかるのですから、テモテがまず祝福にあずかるのです。
パウロをはじめとする宣教者の苦難も、選ばれた人々の祝福であり、神を褒め称える礼拝とせられるのです。キリストと共に死することも生きることも、まさに讃美であり礼拝なのです。
「主を証しする」(テモテ二 1章8節)とはイエスご自身が教会にお委ねになった「証し」と考えられます。そこには「キリストを恥としない」という信仰に基いているのです。 パウロはローマ1章16節において「わたしは福音を恥としない」と言っています。それは曇りなき眼差しでのみ克服される信仰です。
即ち、ローマという巨大な権力が彼を捕らえているのではなく、キリストに捕らえられているのです。 それ故にテモテに対して、教会の内外に関わらず彼を苦しめているかのように見える事柄を、主が示し「委ねられた働き」であるとパウロは言うのです。 そのために彼は召され、今まさにパウロと共にキリストの囚われ人であるというのです。それは「キリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられた」恵みなのです。
今年年始礼拝に示された聖句は、コリントの信徒への手紙?5章16〜19節です。ここでパウロは「だれをも肉に従って知る」ことをやめると言っています。かつてのパウロは神に反抗して、自分を愛する自己愛からしか人を見ることが出来ず、その故に肉の虜になっていたのですが、キリストの十字架はそのような彼の生き方、愛のあり方に大きな変革を与えたのです。
それは「古いものは過ぎ去った」と言うことが前提なのです。即ち、キリストと共に肉から生じる一切は過ぎ去り、この世の誇りを生み出す全ては死に絶え、罪を作り出したものの全ては葬られて、神の愛による赦しによって奇跡が起こったのです。それは古い肉を基準とする歴史が終わり、新しくキリストの愛において新しい歴史の幕開けとなったのです。今神は私たちにも新しい時を与え、み言葉の宣教を委託されたのです。さあ委託に応えて歩み出しましょう。